博士号獲得!……までの日々も辛かったという話

博士号を得るには毎日の研究で結果を残し、ロボットについての斬新な理論を打ち立てたり発見をしたりして、それをベースに学術論文を作ることがほぼ必須である。世界中の色々なカテゴリーの研究者がその学術論文を精査し、論文に有効性と斬新さがあると判断されると、ようやく論文誌(学術雑誌:研究論文等を乗せる専門誌)に載る。

もちろん論文誌にも色々な種類がある。日本のロボット分野で言うと「日本精密工学誌」「日本機械学論文集」「日本ロボット学会論文誌」等が存在する。この他にも、ロボット分野の論文誌はたくさんある。興味のない人からすると想像もつかないだろうが、本当に種類が山ほどあるのだ。

そして「論文が載る」ことのハードルは雑誌次第で違っている。要するに、同じ論文でも「載りやすさ」によって状況が変わってくるということだ。「週刊少年ジャンプ」に掲載されるのは非常に大変だろうが、知名度の低い雑誌であれば少しは載りやすくなるだろう……という話である。自分自身が作った論文の中身やクオリティーを考慮して、可能な限り知名度の高い雑誌に投稿するのが一般的である。やはり、知名度の高い雑誌に載ったほうがたくさんの人の目に留まり、自分の研究を世に広めることができるからである。だが、有名すぎる雑誌であれば、今度はレベルの高い論文でも採用されにくくなるのでこの辺りの見極めは慎重に行わなくてはならない。

また、「どの雑誌に論文が載ったか」によって、論文自体に点数がつく場合もある。週刊少年ジャンプに掲載されたのであれば10点、自費出版の得体の知れない雑誌に掲載されたのであれば0点という感じだ。こういった点数が、昇格や就活、そして博士号の獲得に関係してくれるケースがある。

ロボット分野の研究を学術論文として仕上げ、研究結果を国際学会で発表して、ようやく「博士論文」という最後のハードルに挑戦することが可能となる。そして、博士論文を仕上げて、博士課程における研究内容を審査員に向けてプレゼンし、審査をしてもらわなければならない。

最終選考は基本的に、教員の中からチョイスされた「副審査員(副査)2人・主審査員(主査)1人」で行われる。学生は聴衆と審査員に向けて、研究内容のプレゼンを行うわけである。大体「プレゼン0.5時間」→「質問・回答0.5時間」という流れになる。ただし、質問・回答が熱を帯びて合計1.5時間を超えてくることもある。

この発表会のことを「公聴会」と呼ぶのだが、「ディフェンス」と表現されることもある。なぜなら、審査員が少しでも怪しい部分や根拠の薄そうな部分があればどんどん問いただしてくるからだ。まさに「オフェンス」。それに対して、発表者は回答することで「ディフェンス」するのだ。

プレゼンそのものはよくできたと自負しているが、審査員のオフェンスにメタメタにされてしまった。

教授陣(審査員)は「最後の難関」として、激しく質問をしてくる。この審査をクリアすれば博士になれるのだから、そうなるのも当然であろう。言ってみれば、この公聴会が教授陣に指導してもらえるラストの機会なのだ。だから、審査員も何も発表者が憎くて厳しくするわけではない。だが、正直なところ「そんなこと知らないよ!優しくしてよ!」という気持ちも大いにあった。

私は公聴会の直前には

私「これだけちゃんと研究して内容もまとめたのだから、ぐうの音も出ないだろう」
と自信があったし、自分ではほぼパーフェクトなプレゼンができたと思っていた。

でも、教授陣はなんというか「苦笑い」を浮かべている感じだったのだ。

あからさまにガッカリしているような雰囲気よりも、かえって状況が読みにくかった。

そして、教授陣のオフェンスがスタートする。

まあ、本当に一切の容赦なくどんどん質問をしてくれるのである。

それに対して、私もガンガン答えるわけだが率直に言ってキツイ。構えた盾にひたすらマシンガンが撃ち込まれるような感覚だった。

ちなみに私は「産業用ロボットの性能アップ」という博士論文を作った。
教授陣からは

教授1「本当にあなたの作ったロボットが、あなたの述べるとおりのスペックを持っているんでしょうか?」
教授2「ロボットの能力だけにかまけていると思う。他にも研究すべき部分があったのでは?」
教授3「興味深い実験ではあるけれど、君の発表の仕方で台無しになっている」

という感じの攻撃をもらった。もちろん本当はもっと具体的な質問を受けたのが、ノリとしてはだいたいこんな風であった。

現在、私は審査員をやっているから、こういうオフェンスも指導の一環であると理解している。しかし、学生の立場ではそんなことは考えられないだろう。でもここは乗り越えてもらわなければならないので、公聴会に挑戦する学生を甘やかすことは一切しない。

私「俺の攻撃をくらえ!」

と私もどんどん質問しまくっている。

結局、私の場合は日々メンタルをグチャグチャにしながらも5年かけて博士号を取得した(最速なら3年のはずだが……)。これでようやくロボット博士になったわけだが、ついに30歳。5歳のときにロボットドクターになりたいと初めて感じたわけだから、そこから四半世紀が経過している。