大学院博士課程でのキツ過ぎる研究論文の話

大学院博士課程のロボット作りで最もキツかったのは、英語で研究論文を作成することだった。あるタイミングで12頁の英語の研究論文を作ったことがあるが、本当に締め切りギリギリで、吐くかと思うくらいだった。まあ、大学院レベルの研究となると、日本人だけでなく外国人も相手にすることになるので、英語で論文を作るのは当たり前である。それに、英語で書かれたロボット関連の本に目を通さなければならないときもあった(まあ、読む方は雑にやりすごしたが……)。

ここからは、私の初めての英語論文作成の話をしよう。自分で作ったロボットの「造り」を解説して、従来のロボットと比較した上でメリットを述べて、実験データを記す。こういう流れなのだが、これを英語で作るとなると難易度が跳ね上がる。日本語で作っても当然かなりの労力になるのだが、英語となると冗談ではないくらいにキツくなる。日中はこれまで通りロボット作りを進めて、夜中限界が来るまで英語論文を作る。4週間ほどこの生活を続けて、ようやく論文を仕上げた。私が作った論文は、私の在籍する研究所の教授が確認し、その上で国際学会に提出されることになる。要するに赤ペン先生である。

ある日徹夜で論文を仕上げて、そのまま教授に見せに行ったのを覚えている。「朝イチ」というくらいのタイミングだったので、まだ教授は大学にいない。「英語論文の確認をお願いいたします」と記した紙と完成論文を教授のデスクの上に乗せておく。少しホッとしたので、私はそのまま研究室で眠った。仮眠室は存在しない。自分のデスクに座って寝るか、申し訳程度の毛布を敷いて床に横になるかの二択だ。

数時間眠って起きると、私のデスクに教授の確認済みの英語原稿が乗っていた。
こんなに早く確認が終わるものだとは思っていなかったので、

「かなり頑張ったし、もしかして直すところがほとんどないのか?」

と感じたが、実際に原稿をチェックすると1頁1頁に巨大な「×」印が記されているだけだった。合計12個の「×」。それだけである。

目を疑ったが、英語論文の間に小さなメモが挟まっていた。そこには「タイトルは変えなくていい。あとは全てやり直すこと」と記されていた。
そうは言っても「ロボット関連の研究内容や、文章が全然ダメということはない」という確信はあったので、恐る恐る教授に問うと「英語が稚拙過ぎるから、全てやり直せ。赤ペンで修正するとかそういう段階に達していない」と言われてしまった。結局そこから、吐くような思いで論文を全部作り直したのだ。

まあ、確かに直す前の論文を見返してみると教授の言うことも納得である。というかかなり紳士的な対応だったと言わざるを得ない。三単現のsはないし、複数形も単数形も使い分けるつもりがないし、綴りは間違えまくっているし、術語も主語もない。中学英語からやり直せというレベルの話である。
それから、論文ならではの言い回しや表現なども全く把握していなかった(これは日本語論文にも言えることだが……)。一例として「食事をする」も「ご飯を食べる」も日本語ならだいたいニュアンスは一緒だが、「ご飯を食べる」は論文に使うような表現ではない。これが英語となると、外国人には本当に何のことだか分からないのである。だから、よほど英語の能力が高い人でもなければ、一般的な大学院生には、最初から「論文用英語」を使って英語論文を作るようなことはまずできないのだ。まあ、私の場合はそれ以前の問題だったが……。

しかし、そんな私も今では学生の英語論文を確認する立場の人間になっている。大学院生の頃の私ほど酷い論文を作る人間はそうそういない……なんてことはなく、当時の私と同じレベルの英語論文を提出してくれる学生がほとんどである。逐一修正を書き入れようとすると、赤ペンが数百・数千個入ることになるので、結局全頁に大きく「×」をつけるしかない。私が学生のときに同じことをされたときは、正直多少(いや、かなり)イラっとしたのだが、今ではそれが「愛情」であると分かる。最初の段階で厳しくしておかないと「論文における英語」への意識が低いままになってしまうのだ。とにかく心を鬼にしてやり直させる。そういうものなのだ。

それから、博士課程の頃に国際学会に初めて出席した。順番で色々な国が会場になるのだが、当然世界中から人が集まるので、使う言葉は英語に統一される。私が初めて出席したときの会場は米国だった。まあ、とにかくわざわざ外国まで行くわけで、出席者も外国人ばかり。しかもこのためだけにパスポートも発行したのである。

「私も成長したなあ……」

となんとなく感動したものである。しかし、私は研究発表(もちろん英語でやる)は酷いものだった。研究の内容がどうこうではなく、そもそもこちらの英語を理解してもらえないし、他の人の英語も理解できなかったのだ。日常会話レベルであれば当時の私の英語力でも何とかなったのかもしれないが、日本語でも分かりにくくなりかねない学術的な話をするのだから、その頃の私では太刀打ちできなくても仕方がなかったのである。

学会中に外で食事しようにも、身振り手振りだけでなんとなるマクドナルドかスタバに行くしかなかった。今冷静に考えれば料理の注文くらいはできたのかもしれないが、すっかり自信を失っていた私は「ハロー、とかでも俺の発音じゃ通じるはずがない!」と思い込んでいた。

あとは、なんなとなく早く食べて「俺は忙しいんだ!」という演出をしつつ、陽気な外国人に話しかけられないようにしていた!

国際学会の最後の日には、軽食とドリンクのちょっとした打ち上げがある。だが、私の英語は理解してもらえないので、とにかく脇目も降らずに食事に集中して「話しかけるな!」オーラを出していた。まあ、今考えるとここも身振り手振りでなんとかなったのかもしれないが、当時の私にはそんな余裕はなかったのである。