大学院修士課程!~だがここでは失恋の話がメインである!~

大学院修士課程1年生の頃、私にある事件が起きた。ロボット関連の出来事ではないのだが、これも非常に辛かった。ズバリ「失恋」である。
今考えれば、「あのときはなんであんなに絶望したのだろう……」と思えなくもないが、その頃はメンタルが本当にズタズタになった。しかもロボットの研究も酷く行き詰っていたので、ぶっちゃけた話しばらく大学をサボったのである。

自暴自棄に近い状態のまま、大学に数カ月ほど足を運ばず、夜は深酒をして、昼間に起きてその足でパチスロ店に向かっていた。酒に酔うことで、失恋やらロボットのことやら、色々と忘れようとしていたのである。我ながらメンタルが弱すぎる。

でもなぜかパチスロは異常に上手かったので、生活費を稼ぐことができていた。だが、メンタルはとにかくボロボロだった。精神年齢でいうとその頃の私は10歳くらいだったのかもしれない(今の精神年齢はどれくらいだろうか……)。

現在ならもしもキツいことがあっても、… 続きを読む

博士号獲得!……までの日々も辛かったという話

博士号を得るには毎日の研究で結果を残し、ロボットについての斬新な理論を打ち立てたり発見をしたりして、それをベースに学術論文を作ることがほぼ必須である。世界中の色々なカテゴリーの研究者がその学術論文を精査し、論文に有効性と斬新さがあると判断されると、ようやく論文誌(学術雑誌:研究論文等を乗せる専門誌)に載る。

もちろん論文誌にも色々な種類がある。日本のロボット分野で言うと「日本精密工学誌」「日本機械学論文集」「日本ロボット学会論文誌」等が存在する。この他にも、ロボット分野の論文誌はたくさんある。興味のない人からすると想像もつかないだろうが、本当に種類が山ほどあるのだ。

そして「論文が載る」ことのハードルは雑誌次第で違っている。要するに、同じ論文でも「載りやすさ」によって状況が変わってくるということだ。「週刊少年ジャンプ」に掲載されるのは非常に大変だろうが、知名度の低い雑誌であれば少しは載りやすくなるだろう……という話である。自分自身が作った論文の中身やクオリティーを考慮して、可能な限り知名度の高い雑誌に投稿するのが一般的である。やはり、知名度の高い雑誌に載ったほうがたくさんの人の目に留まり、自分の研究を世に広めることができるからである。だが、有名すぎる雑誌であれば、今度はレベルの高い論文でも採用されにくくなるのでこの辺りの見極めは慎重に行わなくてはならない。… 続きを読む

大学院博士課程のキツイ日々……

大学院博士課程の日々は、本当に辛かった。終日研究に明け暮れるが、言うまでもなく給与はない。むしろ学費を納める立場だ。奨学金を借りているので負債も積み重なっていく。しかも卒業研究とは違い「ヘルプ役」という責任の薄いポジションでもない。在籍する研究室次第ではあるが、企業と提携研究を行っているケースでは、実際に企業と一緒に研究をするのだ。吸収できるノウハウの質も量もすさまじいが、ノルマがすごい。
まだ「学生」ではあるものの、のしかかる責任が凄まじく、気楽さは全くない。
ロボットを作成し、実験し、PCを使って解析する。これを毎日やる。動作しないロボットを睨んで

私「何がダメなんだよ!」

と心の中で叫ぶ日々だった。
だって、本当に目の前のロボットが動いてくれないとどうにもならないのだ。
まあ、動いたら動いたで「なぜ動いたのか」も分析する必要があるが。

大学院博士課程は、ロボット作り→実験・解析→教授にこってり絞られる→ロボット作りの毎日であり、まあ本当に心の休まる暇が全然なかった。… 続きを読む

大学院博士編~就活は未知の領域~

公聴会が終われば博士号が貰えるわけだが、そのタイミングでまた高いハードルが飛び込んでくる。そう、就活である。博士課程はスムーズにいっても博士号を獲得するときには28歳になっている。28歳で博士になっているのであればそれはかなりの幸運であり、実際のところは三十路になっている人のほうがむしろ多い。年齢を考えると結構ヤバいのだ。日本の就活事情はとにかく「新卒に甘く、その次に若者に甘い」のだから、「職歴なし三十路」というのは非常にマズい。
だからこそ「博士号を取っている」という事実を活かして就職活動をするべきなのだが、博士号を活かすとなると、就職先の選択肢は非常に狭くなる(まあ、それを見越して博士号を取るべきだが)。

通常、理工系であれば、大学院修了課程をクリアしていれば、普通の大卒よりは就職しやすくなるケースが大半だ。現在は大学に進学する人が多く、大学で初歩を学び、大学院でようやくより深い専門分野を研究する……という流れが構築されているからである。… 続きを読む

はじめに「次のスパロボマスターはあなただ!」

今まで私の体験をベースにした作り話(?)で、空想上の主役がどんな経緯でロボットマスターになったのかを説明してきた。とにかく念押しをさせてもらうが、主役は空想上のキャラクターで私とは違う人物だ。Cさんや戦友のO君に関しても一緒。
決して「こいつは自分のことを話しているんだな」などとは思わないようにお願いしたいところである。

いま私はロボットドクターとして、ロボット専門大学の教授として、日夜学生諸君とロボットの研究を行っている。いずれスーパーロボットを作り上げる予定だが、かなり先の未来になりそうだ。
これまでの私の人生を思い出してみると、大学でロボット分野の博士として活動しているのが不思議なくらいである。

「パチスロで生活していたこともあるのに、なぜか大学の教授に!」

といったところだ。

「何手も先を読むべき」

なのが人生だと思うが、とりあえず私に関してはそんな風ではない。様々に取り組んできたことが、人脈・運・体験を通して、ロボット教授やロボットドクターの道に私を導いたような気がする。「数手先を読む」ことが無理でも、いずれ自分の未来を作ると思えるなら、どんなことにもチャレンジすべきだ。「今やっていることが、数年先の未来を作ることになるかもしれない」とそのときは感じなくても、いつどこでその経験が活きるか分からないのだから何にでも挑戦するべきだ。「教授」なんて聞くと、学力さえあればなれると感じるかもしれないがそうでもない。… 続きを読む

大学生時代の妙な思い出

大学4年間はかなり面白かった。勉強以外が。もうバブルも弾ける直前ではあったのだが、若者はみんなノリノリの時代である。合コン、アルバイト、カラオケ……などで遊びまくって、講義にはギリギリ落第しない回数しか出席していなかった。こんな風に欲望が抑えられない学生は今でも少なくないのではないだろうか。サークル活動が特に好きで、暇さえあればサークル室でグタグタ過ごしていた。

近年、大学生の学力と講義参加率のダウンが問題視されており、高校レベルの講義参加率を単位取得条件としている大学が少なくない(文部省の方針として)。しかし私の頃は、本当に申し訳程度に講義に出席していれば、単位が取れたのだ。その頃は、講義中でもサークル室で好き勝手やっていたのである。
サークルには学年も学部も問わず色々な人間が常に集まっていて、好きなように喋っていた。その頃はケータイだのネットだのはほぼ存在しておらず、ポケベルが限界だった。… 続きを読む

中学~予備校までの流れるような日々

私が中学生になってから比較的早い段階でガンプラの流行は落ち着いた。そこからは、ファミコンが大流行したのである。私の友人連中もファミコンにのめり込んでいたが、私は「パソコン」にハマっていた。この文章を読んでいる人々のために「パソコン」と言っているが、当時は「マイコン」と言っている人が大半だった。

現在のパソコンはネットでソフトのダウンロードを行ったり、ディスクなどを買って読み込んだりすればそれだけで使える。しかし当時のマイコンの場合は、大半のソフトは自分で設計するものだった(ソフトもあるにはあったが、高過ぎるし種類も少ない。余談だがファミコンのソフトの値段も全体的に高い時代だった)。
その頃は「プログラム雑誌」なるものが様々にあり、その雑誌を参考にしつつ様々なソフトを設計した。まあ「簡単なゲーム」レベルのものがほとんどなのだが。
このプログラムの日々が、後々ロボット博士になることにかなり関係してくる。ロボットのコントロールを行うためのプログラムは自力で組まなくてはならない。当然既存のソフトもあるのだが、大抵はそのままでは使いにくいので、自分のロボット向けに改造しなければならないのだ。だからプログラミングのノウハウがなければ、ロボット分野の研究をすることなど叶わない。… 続きを読む

小学生時代~この頃からモノづくりに興味が……?~

小学生になった。運動神経が悪く小柄でもあったので、何かとバカにされやすかった。外で遊ぶということもほとんどなかったし、TVを観るのが趣味だった。

小学校3年生くらいまでは「できるかな」を欠かさず観ていた。現在の若者も聞いたことくらいはあるかもしれない。ゴン太くんとのっぽさんが、簡単な工作をするというアレだ。もしかしたら最近の学生には「つくってあそぼ」のほうが知られているだろうか。「つくってあそぼ」のほうはゴロリとワクワクさんだったか。
私はもう40代だが、現在でもこの手の番組が大好きだ。タイミングが合えば絶対に観る。
今でものっぽさんやワクワクさん的な人と一緒に工作をすることを夢見ているくらいだ。

「できるかな」に感動して、親に牛乳パックを捨てないようにしてもらって、ロボット的なものを作っていた。現在の私も手先が器用であり、ロボット作りを有利に進めることができているが、小さい頃に工作をしまくっていたおかげでもあるのかもしれない。仮にこの頃に外で遊んで工作をしない生活をしていたら、手先は不器用になっていたのではと思う。… 続きを読む

幼稚園時代にロボットアニメに心を奪われる

1970年代にこの世に生を受けた私。この辺りに生まれた男の中にはロボット好きが他の年代よりも多いような気がする。私が幼稚園の頃にはゲッターロボやマジンガZが大人気だったし、小学校低学年の頃にはガンダムが始まった。私はこの頃から小柄で、家の中での遊びが大好きで、あまり運動はしなかった。イマドキの言葉で表現するのであれば「陰キャラ」というものだろうか。自宅でテレビを観ることが多く、スパロボ(スーパーロボット)系のアニメは欠かせず観ていた。

そんな保育園生時代、私にとって衝撃的なことがあった。それはアニメのマジンガーZでのことだった。マジンガーZは私にとってはスーパーロボットアニメの第一号であり(もっと詳しい人からすればそれ以前にもロボアニメはあるのかもしれないが、私にとっては第一号という意味)、私からすれば「スーパースター」だったのだ。

最近の若者でマジンガーZを知っている人からすれば「ああ、飛べるよね。マジンガーZって」というくらいの認識かもしれないが、実際はアニメが始まってから当分は飛行能力はなかったのである。そのため、飛行系の敵がマジンガーZの大敵だったりしたのだ。… 続きを読む

私は大学教授だ!~大学教授とは何か?~

私は大学教授であり、ある私立大学で工業分野の指導や研究をしている。教授と聞くと「うわ、めっちゃ金持ちなんでしょ?」「頭良いんだね」「なんか一日中研究しているんでしょ?」などと感じるかもしれないし、人によっては「大学教授サマ~?いけすかねーな!」という思うかもしれない。

ただ、大学教授というのは普通の会社員と変わらないと私は思っている。「変人率」というのも別に高くはないはずだ。国家公務員レベルの年収なので、高くも低くもない。まあ、キャバ○ラで「大学教授やってるんだよ」と言えば、それなりに驚いてもらえるが……。

そんな私だが、普段は「研究」「大学運営のための雑務」「学生の指導」などをしている。(あとは「学会運営」も私の仕事だが、これは読者諸君が大学教授になってから知ればいいこどなのでここでは説明しない)
「学生指導」というのはいわゆる生活指導、卒業研究関連の指導、それから普段の講義などのことだ。「大学運営の雑務」とは、講義全体の設計(いわゆるカリキュラムだ)、入試テストなどのこと。それから、大学の運営に関わる学会会議や教授会などにも参加する必要がある。… 続きを読む